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<諸子百家>           2010.12

<法家:管仲の場合>

?~BC645 春秋時代の斉の宰相。字は夷呉。
斉桓公を覇者として支えた名宰相として知られる。
「管子」は管仲の言行録を記した書と言われており、
後代の仮託・増補が多いと言われている。

上記は『管子』侈靡篇より。
富裕層は溜め込まずに、全く価値のない嗜好品にバンバン金を使って、
貧困層に金をばら撒けと言った。
(『倹』と『消費』この二つが並存する論理が管子の特徴の一つ)

<儒家:孔子の場合>

BC551~479 儒家の祖。春秋末の魯の曲阜の人。
周公旦を敬慕し、魯の国政改革に失敗して諸国を巡った。
家族道徳『仁』の完成をめざし、『春秋』を著したとも言われる。

礼:宗教儀礼から出発したが、
周代には社会秩序を維持するための規範になり
それが政治制度や日常生活の作法など社会全般の規範となった。
春秋以後崩れたのを儒家が回復を図った。

<儒家:孟子の場合>

孟子:BC372~BC289 魯の隣国鄒の人。
孔子を尊び儒教の教えの元、諸国を遊説し、失敗。
失敗した後、弟子の育成に努めた。
著「孟子」。

人の本性は善であるという性善説を唱えた。

<儒家:墨子の場合>

BC480~390 春秋末。戦国初めの魯の人。
宋に仕えたと言われる。儒家に対抗して墨家の祖となる。
著「墨子」53篇。

兼愛:墨子の倫理説。自他の別なく無差別平等に
人を愛せと主張した。

<兵家:呉起の場合>

BC440~381頃 兵法家。衛の人。
魯・魏に仕えた後、楚の宰相となり功を立てたが
反対者に殺された。著は「呉子」。

兵士の団結を重んじ、そのためなら自分の妻も殺した。
軍>>>>>超えられない壁>>>>家族

 

<兵家:孫武の場合>

BC6C頃 春秋の斉の人。呉王闔廬に軍師として仕え、
楚の都の郢を陥落させた。著「孫子」13編。
モットー「勝つために、手段は選ぶな」

※1972年の銀雀山漢墓竹簡の発掘により、
現存し、伝えられている『孫子』は孫武の著が伝えられたものであり、
孫臏の著は新たに発掘された『斉孫子兵法』であると考えられる。
『諸子百家<再発見>』より

 

<名家:公孫龍の場合>

紀元前4C~3Cの趙の人。名家の代表。
平原君に仕え、反戦と兼愛を説いた。

彼の言行録とされる『公孫龍子』には、概念実在論や
人間の認識能力の統一性、順序数の性質についてなどが
述べられている。

 

<道家:荘子>

BC4Cごろの宋の人。”道”に基づき、
生成流転する自然の道に従って、自由に生きるという
個人的解脱を目指した。著は「荘子」33編中の内篇7編

陰陽家:鄒衍>

BC305~BC240 斉の人。陰陽家・歴数家。
陰陽説と五行説を集大成し、代表的陰陽家とされる。

万物の変化を、土→木→金→火→水で説明する
五徳終始説を形成した。

法家:商鞅>

?~BC338 商鞅。衛の公子。
秦の孝公に使えて改革を推進し、富国強兵を達して
商に封じられた。孝公の死後、反対派により自分が制定した
車裂きの刑で処刑された。

法家:韓非>

?~BC233 韓の王族。荀子に学ぶ。
法家思想を大成し、「韓非子」を著す。

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